「わが子の障害がわかるまで」

いつも読ませていただいているカイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルで、「わが子の障害がわかるまで」体験談募集というエントリーがありました。私も、そのうち以前のことをここに書かなきゃなぁ、と思っていたところだったので、参加させていただくことにしました。

自閉症の診断がつくまで
 ・お子さんはどんな状態でしたか?

とても育てやすい子どもでした。あまり泣かず、よく寝て、よくおっぱいを飲んで。
でも、育てやすすぎました。
お昼寝をさせればすぐ寝て、起きても泣かずに天井を見つめていました。チャイルドシートにのせるとずっと外を見て、どんな長いドライブでもぐずりませんでした。遠い所のおもちゃを欲しがって泣くこともありませんでした。テレビだけはものすごく好きで、どんな番組でも飽きずに眺めていました。
なんだかこの子は、見える範囲の世の中の情報を処理するのに精いっぱいで、自分から情報を手に入れようとは思っていないような気がするなぁ、とぼんやり思っていました。計らずもそれは当たっていた訳ですが。

自閉症の診断がつくまで
 ・不安を感じ始めたのはいつ頃でしたか?

生後半年くらいからです。
あまりにされるがままで、こんなに生きる意欲のない(ようにみえる)子どもはおかしいと思いました。寝返りができるのがものすごく遅く、はいはいもすごく遅く、歩くのももちろんものすごく遅くて。体力はあるようなのに、こんなにできないことが多いのは、何か問題があるからじゃないかとずっと思っていました。
この子は、世の中が怖いのかなぁ、と、ぼんやり思っていました。これも、ある意味当たっていた訳ですが。

自閉症の診断がつくまで
 ・診断は、どんな経緯でわかりましたか?

実は私は、教育学部の心理学科卒です。自閉症の知識が、もともとありました。息子はどうも普通ではないんでないか、と思ったころから、自閉症を意識はしていました。なので、子どもに対する接し方もある程度心掛けていました。
ただ、目が合わない・ものをならべる・逆バイバイなどの典型的な行動がなく、動作の模倣も見られ、抱かれることを特に嫌がるようなこともなかったので(喜びはしていなかったようですが)、確信が持てませんでした。自分の子なので、多分にそうとは思いたくない心情も働いていたと思います。

しかし言葉の遅れはやはり見られたので、一歳半検診の時に、「言葉が出ていない、理解も少ない、違和感がある」と保健師さんに言いました。だから、「検診にひっかかった」というよりは、「検診にひっかけた」と言う方が適切でしょう。
保健師さんには「言葉掛けを多くして」などと言わずもがなのことを言われましたが、「これ以上声かけしてる親はいねーよ」と内心思っていました。

その後数回保健師さんの自宅フォローがあり、二歳になる少し前位から一年間、月1で保健所のお遊び会みたいなものに参加を勧められ、参加しました。要は経過観察の子たちを保健所に集めて、様子を見る会ですね。どちらかというと親のフォローが重視されていたように思います。ケースワーカーさんもきてくれていましたし。
お遊び会の1年が終わる頃、市の療育センターの受診を勧められました。三歳ちょっと前でした。

丁度その頃「光とともに…」の2巻が出たばかりで、書店で平積みにされていました。表紙を見て、優しそうな絵だな、自閉症の漫画か…これを読むことがある日が、きっと来る気がするなぁ、と、妙な確信をしていました。

療育センターには、なぜか私の学歴が伝わっていて(笑)、Dr.には「お母さん知識がある人だから私が言わなくてもうすうす判っていると思うけど、蜜柑くんは自閉症の傾向がありますね」と言われました。このDr.は、とりあえず初診のときは「傾向」というような言葉を使って、親のショックを少なくする主義らしいと後で知りました。
療育センターで、週1の療育グループを受けられることになり、ちょっと遠かったんですが、がんばって通いました。

半年くらいたって、来年療育センターの通園に行くか保育園等に行くか考え出した頃、相談もかねて再度診察を受けました。その頃にはこっちもすっかり開き直っていて、「自閉症なら自閉症で、ハッキリ言って下さい、療育手帳も下さい」と迫り(笑)、「自閉症」との診断と、療育手帳も申請しました。息子、蜜柑は三歳半でした。

自閉症の診断がつくまで
 ・そのときどんな気持ちでしたか?

三歳半のときはもう、淡々としたものでした。泣きもしなかったですしね。

初診のときは「やっぱりね」というのが第一の感想でした。いろんな人に「違うと思うよ」「気にしすぎだって」と言われる中、へんだへんだと一人で思い続けていたので、「ほらごらん」という気分でした。
でも、泣きましたね、やっぱ。どうでしょう、少なくとも丸1日は泣いていたかな。一週間くらいは泣きっぽかったですね。ひとしきり泣いて、「多分私これからもいっぱい泣くことになるんだから、ま、とりあえず今回はこの辺にしとこう」と、妙に冷静に泣き止んだことを覚えています。

なによりも、もともと知識があったのが大きかったと思います。自分を責める時期はほとんどありませんでしたし、心構えがあったので、子どもに対する接し方も、大きく間違ってはいませんでした。ですからそれまでも、回りに「あなたの接し方が」と責められることもありませんでした。
Dr.に、「蜜柑くんが人なつっこいのは、障害が軽いせいかもしれないけれど、今までのお母さんの接し方がよかったからかもしれない。それは私には判断できない。でも今日見ているだけでも、かわいがられて育ったことが判るから、これからも続けて下さい」と言われて、正直、うれしかったです。


今回、「光とともに…」がドラマになって、自閉症の子どものことが広く認知されて、未診断のまま悩んでいる人たちが第一歩を踏み出してくれるといいと思います。また、周りの人たちが親や子どもに心ない接し方をしないよう、考えていただけるきっかけになればいいと思っています。


長くなりました。読んで下さってありがとうございました。