醤油

先日、私と夫と蜜柑と、私夫双方の両親と、家でご飯を食べていた。私がお茶を淹れに行った間に、蜜柑が醤油入れをいたずらし、醤油をこぼしてしまった。お茶を淹れて戻ってきた私がそれに気づき、思わず「あぁ〜!」と声をあげると、夫をはじめ祖父母たちも惨事に気づいた。私が慌てて醤油を拭いていると、最近発語が増えてきた蜜柑は、たどたどしく「お・め・ん・あ・あ・い(ごめんなさい)」と半泣きで謝る。祖父母らは、子どもがものをこぼすのはしょうがないじゃないか、みたいなことを口々に言い、謝ってるんだから許してやれといい、結局私が「泣かなくていいよ、拭けば大丈夫だからね」と蜜柑を慰めた。なんだか私が悪いみたいな雰囲気の中で。
自分が引き起こしたことで騒ぎになると蜜柑がパニックになりかねないので、その場では何も言わなかったが、私はものすごくもやもやした気分だった。だって、

私はちっとも怒ってなんかいなかったのに、怒ったことにされてしまったし、
そもそも嘆いたのは、蜜柑に対してじゃなかったからだ。

私が嘆いたのは、大人がこんなにいて、同じテーブルでご飯を食べていて、蜜柑が

醤油に興味を持ったことにも、
醤油に手を出したことにも、
醤油入れで遊んでいたことにも、
醤油をぶちまけて服を醤油だらけにしていることにさえ、

誰一人として、気づかなかったからだ。


我が家では普段、醤油はテーブルには置かない。醤油なんて、しょっちゅう惨事を招くに違いないし、そのときの私のダメージも、お茶などとは比べ物にならない。お茶なら「気をつけようね」ですむところが、蜜柑にとって不適切な対応(怒鳴りつけちゃうとか)をとってしまう可能性が高くなる。お互い精神衛生上良くないので、こぼすと大変そうなものは置かないことにしている。
「何事も失敗しないと覚えない」という人もいる。でも、そもそも幼児に醤油差しを上手に使うことは難しいと思う(大人でもよくかけすぎちゃったりするよね)。それに、自閉症児の場合、失敗体験がこびりついてしまいやすい。まだお茶やおつゆをこぼしている段階の蜜柑に、醤油差しなんか失敗を招くだけのものに違いない。もうちょっとしたら蜜柑も上手に使えるかな?という辺りまで成長したとき、失敗が成功に結びつく可能性がでてきたとき、我が家にやっと醤油差しが戻ってくるんだろうと思っている。

そんな訳で、今回醤油は、お客さんが来たから例外的に置いていたのだ。
きっと私がその場にいたら、そもそも醤油を蜜柑の手の届く所には置かなかっただろう。
蜜柑が醤油に目をやった時には、手が届かない所に醤油を遠ざけただろう。
醤油を手に取ったら、「これは蜜柑には使えないからね」と、取り上げただろう。
醤油で遊び出してから気付いたのなら、問答無用で取り上げただろう。
だから仮に醤油をこぼしても、ちょっとで済んだんじゃないだろうか。

私が戻って来るまで、気付かなかったなんて。

なんで気付かないの? このことがあってから、ずっと考えていた。あんなにいっぱい大人がいて。子どもは蜜柑一人だったのに。


いろいろ考えて、いや、気付かないのが普通なのかもしれない、そう思い当たった。


私は、常に蜜柑を視界の端に入れて行動することに慣れている。もともとそうだった訳ではなく、蜜柑を産んでから5年、それはそれはもういろんなことがあって、一緒にいる時には蜜柑を常に気にして行動する癖がついてしまったのだ。だから、大抵の悪さにはすぐ気がつく。私の体調が悪い時などは、気付くのが遅れることもあり、逆にコンディションの目安になったりもしている(ありがたくないけど)。


でも、普通は自分の目の前のことにしか注意を払わないんですよね、音でも聞こえないかぎり。

そういう感覚をすっかり忘れている自分に気付いて、ちょっと愕然。そういえば、1つのことに集中するなんて感覚は、ここ数年味わっていないかも。
いや、仕事している時は集中してるんで、5年ぶりくらいの経験になるのか。とんでもない期間です。

蜜柑が一緒にいる時は、私はずっと心を分けて暮らしていたんだわ。
きっと私は、そういう習慣がついてしまった自分を、嘆くべきなんでしょう。でもそうしなくては、蜜柑の安全が保てなかった。それもまた事実です。
だからどう、というわけじゃないけど、なんだか少し、悲しい気がします。


だから、みんなが蜜柑のいたずらに気付かなくても、しょうがない。何かをしながら蜜柑に気を配る習慣がついていないから。「蜜柑に気を配る」ということだけしていればいいのかもしれないけれど。


迷子になったことのあるお友達に状況を聞くと、よくある答えが「ダンナが見ていた時に迷子になった」というもの。ものすごく納得のいく答えです。私たち自閉症児の母親は、嫌でも子どもに気を配る習慣がついてしまっています。また、トラブルになりにくいような行動をとる(こだわりを招くような場所には極力行かないとか、いつもと違った行動をしないとか、予告をばっちりするとか)癖もついてしまっています。嫌でも段取り上手でないとやっていけないんですよね、読めない行動をされたり、その都度パニックになってしまっては困りますから。
ダンナさんを責めている訳ではないんですよ! 一緒にいる時間が長い方が、子どものパターンを知っていることが多いように思う、というだけの話です。だからもっと、お父さん方は子どもとの時間を過ごしてね!と言いたい訳です。

また、他人に蜜柑のことを託す時には、「蜜柑に気を配る」ということだけをしていてもらった方が安全なんだなぁ、ということにも気付きました。片手間に見ていてもらうのでは、やっぱり危ないわ。


とりあえず、心の狭い母親だと思われるのは腹が立つので、翌日夫にだけは言っておきました。
「私が昨日、蜜柑が醤油をこぼした時に嘆いたのは、大人があんなにいたのに、誰も蜜柑が醤油で遊んでいるのを止めなかったからだよ。蜜柑を叱った訳ではない」
夫は「あ〜、なるほど」と言っていました。
これからはちゃんと見ててよね。
とは、言わなかったけれど。