成長するに従って

息子・蜜柑は、なんだか最近、急に喋るようになってきた。言葉というものが世の中に存在することが判って、自分の口からもそれを出すことができるのだ、ということに突然気付いた、そんな感じだ。ヘレン・ケラーの「water」の逸話みたいだけど。
いろいろ喋るようになってきて、成長が実感できてとてもうれしいんだけど、私の気分が滅入っているときは、かえって悲しい気分になることがある。
いかに、蜜柑が自分一人の世界の中にいるのかが判るようになってしまったからだ。
自閉症の子どもの場合、成長するに従ってより自閉症っぽい行動をとるようになることがありますが、それは自閉症が重くなった訳ではなくて、成長に伴ってやりたいことができるようになったと言う証拠なんですよ。なんて臨床心理士の人に言われたことがあるなぁ、と今さらながら思い出す。
今までは言葉がでていなかったから、いろいろ声を出していても、何を思っているのかよく判らなかった。欲求などは身ぶりで示していたから、そのときだけ相手していればよかったんだけど。一日中こだわりの内容をぶつぶつぶつぶつ言ってるのを聞いているのは、弱っている時には、きついことがある。「喋るようになればなったで、大変よ」とお友達に言われたのは、こういうことだったんだなぁ。
こっちが元気な時は、「好きなことを喋れるようになって楽しいんだろうだなぁ」「いろいろ言えるようになってよかったなぁ」なんて、前向きに考えられるんだけどね。

…結局は、私の気の持ちようの問題ってことか。疲れてるかな。今夜は早めに寝ようかな。