優しくされた

体調不良日だったとき、うんうん言いながら米を研いでいたら蜜柑が寄ってきました。
「蜜柑〜、かあさんお腹が痛いよ〜」愚痴ると、
蜜柑「ばんそーこー」
私「絆創膏貼ればいいんだ?」
蜜柑「ハイ」
私「優しいね〜、蜜柑は」と言うと、蜜柑はにこ〜っと笑って、私の頭をなでなでしてくれました。

うおおお〜〜っ、カワイイヤツめ!!←親バカ

留意点1:蜜柑は私が弱っているのを心配して寄って来た訳ではなく、米を研いでいるところに手を出したくて寄ってきただけである。=水遊びがしたかっただけ。
留意点2:いつも蜜柑が怪我すると「ばんそうこう貼ればイタイの治るよ」と言っている。そのため、「痛い」→「絆創膏」→「治る」という、「光とともに…」の光くんと同じ発想をしていて、その知識を披露してくれたものと思われる。私に絆創膏を貼ってくれようという気があるわけではない。
留意点3:蜜柑のYesは、いつも「ハイ」。別に礼儀正しい訳ではなく、初語が遅かったため「うん」という返事を自分で習得できず、大人が「おへんじは、『はい』だよ」と教えたのを忠実に守っているのだ。大人になって使い分けに悩むよりはと思い「はい」1本で通しているが、言葉遣いが場にそぐわず丁寧である、という自閉症者の言葉の特徴をよく表しているとも言える。
留意点4:私が蜜柑の頭をなでると、たまになで返してくれることがある。そういうときは「蜜柑は優しいね」と褒めているため、蜜柑の中で「なでる」=「優しい」と、結びついているものと思われる。だから今回「優しい」=「なでる」という動作をしたのだろう。腹痛の私を慰めようとしてくれた訳では、まず、ない。

以上のことは頭では判っているけど、弱っている時には殊更心にしみます。判っていてもやはり、うれしいものですね。
そうやって私が喜んでいれば、「人が痛がっている時に声をかけることはいいこと」という流れが蜜柑の中に出来てくるかもしれない。新生児が顔を歪めるのを大人が笑ったと誤解して喜ぶことで、「笑い」という表情が子どもの身に着いていくように。
1つ1つの行動の積み重ねで、蜜柑の行動の幅が広がって行ってくれればいいと思っています。