昔の友達

ショッピングセンターで、ばったり、昔のママ友達に会った。息子の障害が判る前、よく会っていた人だ。適当に世間話をして、別れた。

昔のママ友達に会うのは、あまり好きではない。

なんで好きでないのか自分でもよく判らなかったけれど、最近なんとなく、判った気がする。
多分、息子の障害が判る前のことを思い出すのが、辛いんだ。

息子・蜜柑はわたしにとって初めての子どもだ。子どもが産まれる直前まで仕事をしていた私は、近くに同年代の子どもがどのくらいいるのか、知らなかった。将来蜜柑の友達になるかもしれない子どもたちと知り合いになれるといいなと思って、母親教室に行ったり、育児サークルに入ったりした。今日会ったママ友達も、その育児サークルで知り合った人だ。

自分の子どもをサークルに連れて行くうち、自分の子どもが他の子と違っているように思えてきた。違うと思える部分は、どんどん増えていった。おとなしすぎる。泣く理由が全然判らない。全然人見知りをしない。歩かない。しゃべらない。どんどん、どんどん。
「なかなか歩かなくて、心配なんだ」「おしゃべりしないから不安なんだよね」サークルの他のお母さんたちに話したことも何度かあるが、「おとなしくていい子じゃない」「男の子はおしゃべり遅いって言うよ」「大丈夫だよ心配しすぎだって」そういう返事が返って来て、そのまま世間話に埋もれて行った。どんどん積もり積もっていった、不安。

蜜柑は、サークルに行くと、よく泣いた。今思えば、他の子の声がうるさかったんだと思う。でも、その頃の私は、子ども同士遊ばせて、刺激を与えることは絶対いいことだと信じていた。泣かれると自分の気持ちはすごくくじけるけれど、自分ががんばらなければいけない、と信じていた。きっといつか、蜜柑が他の子との遊びを楽しんでくれる日が来ると信じていた。やみくもにがんばっていた、あの頃の自分。辛かっただろう、あの頃の蜜柑。

サークルでお花見に行ったこともある。お弁当を食べて、公園で遊んで、みんな楽しそうだった。蜜柑は、いつもと違う食事を食べることができず、一人でうろうろして、よそのグループのシートに置きっぱなしになっていたお菓子を食べてしまった。私は慌てて謝った。そこは年配の女性ばかりのグループで、優しく許してくれた。ミカンもくれた。蜜柑は喜んでそれを食べた。余程お腹が減っていたんだろう。他の子どもたちが公園で遊ぶ中、蜜柑はいつもなら昼寝をしている時間になり、そのまま寝てしまった。こんなうるさい、眩しい所で、あっという間に眠れるなんて。やはりこの子は普通じゃないんじゃないか。大きくなっていく、疑問。

サークルの時間に、お母さんたちが交代で、子どもたちに絵本を読んだり、歌を歌ってあげたりすることになった。蜜柑はまだ本といえば破るものだと思っていた。読み聞かせなんか、できる状態ではなかった。当番はものすごく気が進まなかったけれど、順番が回って来たので、しょうがなかった。家にある中から、新しくてまだあまり破られていない本を選んで、読んだ。歌も歌った。子どもたちはおとなしく聞き、歌に合わせて手遊びをしていた。でも蜜柑は、私の方なんか一度も見なかった。自分の子どもが全く興味がないことをみんなの前でやってる、空しさ。
その間、蜜柑は誰にも振り返られることもなく、ただごろごろして、うろうろして。自分の子どもほったらかして、子どもも誰にも見てもらえないで、私なにやってんだろ。せつなかった。

ひな祭り会に誘われて、サークルの一人の家にお邪魔した。その頃には、私は相当に疲れきっていた。子どもたちがおひなさまを見たり、プラレールで遊んでいるとき、蜜柑はその家の玄関の段差を登ったり降りたりして遊んでいた。玄関から部屋に入るまでに、ものすごく時間がかかった。おやつで釣ってやっと部屋に入ったけれど、子ども用にお菓子を並べたテーブルには見向きもせず、私のひざに座って、動かなかった。子どもたちが自分でトイレに行けるようになったのを自慢したくて、競ってトイレに行く中、蜜柑はずっと玄関で段差を楽しんでいた。おむつ替えが、悲しかった。部屋の、ものすごく隅っこで、替えた気がする。やっとプラレールの前まで連れてきても、レールから電車をもちあげてしまい、回る車輪を見ていた。みんなでひな祭りの歌を歌おうと言うことになって、ピアノに合わせて大人も子どもも、「ひなまつり」を歌った。そのときも蜜柑は、玄関の段差を上り下りしていた。
そのとき、自分の息子には絶対何か障害があるに違いない、と確信した。それから、この人たちとこのままつき合っていたら、きっと自分の心が壊れてしまう。もう、だめだ。やめよう。そうも思った。自分の心が不安定だと、蜜柑の状態も悪くなることが多い、ということに気付いた頃だった。療育センターで初診を受ける、直前の頃でもあった。

サークルと距離を置いたら、「なんで来なくなったの」「一緒に遊ぼうよ」などと誘われたので、けじめのつもりで、久々にサークルに顔をだした。
蜜柑は全然しゃべらないし、他にも発達に遅れが見られるから、療育センターで療育グループに参加しはじめたこと。他にも、発達に遅れがある子が集まる場所に行って、蜜柑はそこで遊ばせていること。蜜柑は他の子どもたちのことをどちらかというと怖く思っているようなので、到底一緒には遊べないこと。私自身が他の子たちを見ていると辛いこと。だからここにはあまり来られないということ。決死の思いでカミングアウトした。すると「蜜柑くんっておしゃべりしてなかったっけ」と言われた。
この人たちは、その程度の観察・関心で、「心配しすぎ」「大丈夫」と私に言っていたのか。あの時の驚きと落胆。そしてその言葉を真に受けたかった、あの頃の自分の愚かさ。「気休め」。これ以上ないほどいい加減な「気休め」だったのに。

2年以上前のことなのに、昨日のことのように思い出す。もちろん、嫌な思い出ばかりじゃない。子どものことを離れて話をすれば、とてもいい人たちで、話も楽しかった。カミングアウトしたときも、療育センターのことを知っている人が一人だけいて、「がんばりすぎないようにね」と、励ましてくれた。うれしかった。

「今は幸せです」胸を張って言えるけれど、でもあの頃は、確かに、辛かった。眠るとよく蜜柑の夢を見た。普通の子どもみたいにぺらぺら喋って、「な〜んだ。なんで今までしゃべらなかったのよ〜。心配したんだから〜」と私は思う。でも目が覚めると、昨日と変わらぬ蜜柑が横に寝ている。思い詰めるあまり、蜜柑のことがどうしてもかわいく思えなくなって、一人で居間で寝たこともある。
でも、初診を受けてから、そういう夢は全く見なくなった。自分の中で何か、憑き物が落ちたような、そんな感じだ。そのときたくさんあった不安もなくなった。不安は現実だったから。そして、現実は変えようがないから。今はまた別の不安がいろいろあるけれど、それは先輩たちが通った道だと言うことが判っているから、以前のような焦燥感はない。
それから、蜜柑自身にその時期が来たのか、私が落ち着いたこともあるのか、蜜柑は蜜柑なりに成長して、今に至っている。

あの頃の自分に会うことができるなら、教えてあげられることがどっさりあるのに、と思う。できない相談だけど。
せめて、私は、不安を抱えているお母さんに無責任な気休めは言うまい、と思っている。最近、いろいろ相談を受けることが多くなって来たけれど、あの頃私が受けた、一番ありがたかったアドバイスをするようにしている。「心配なら、なんでもお医者さんに相談するのがいいよ」(by夫)


はー。いろんなことを思い出して、ちょっと疲れました。やっぱり、昔のママ友達に会うのは、あまり好きではありません。

多分、今日の日記に対してコメントをいただいても、お返事することはできないと思います。今日書いたのでいっぱいいっぱいなんで。ごめんなさい。