第6話を見て

最初にゴメンなさい。先週の感想です。


今回は、見ていてとても疲れました…。見ていてぐさぐさ来る所が多かったんです。

やっぱり一番ぐさっときたのは、淡路恵子さんですか、料亭の女将さん風の人に謝るとこです。

自閉症自閉症言い過ぎじゃない?」

かなりぐさっと来ました。この日記でもそうなんですけど、自閉症のこと判って欲しいあまりに、障害名を話の中に頻繁に入れてしまいます。まぁ、この日記の場合は「自閉症」って書かないとキーワードに引っかからないんで、書いた方が判りやすいんでしょうけど。でも日常でもついつい言ってしまうんですよね。

「だから許して」というつもりでは全然ないんですけど。なんていうか…。

例えば、呼んでも返事しない人がいて、「耳が聞こえないので呼びかけられても判りません。ごめんなさい」って言われると「あぁそうか」って、筆談したりボディランゲージ加えたり、しますよね。
自閉症なので呼びかけられても判りません。ごめんなさい」だと、多分「はぁ?」ってことになってしまうと思うんですよ。

また、「目が見えないので人にぶつかってしまうことがあります。すみません、気をつけますので」と言われて、がーがー怒る人はあんまりいないと思うんですね。
でも、「自閉症なので人にぶつかってしまうことがあります。すみません、気をつけますので」って言われて、素直に許してくれる人は、あんまりいないんじゃないかな。だって判んないですよね、どうして自閉症の子が人に激突することになるのか。あくまで一例で、そうでない子も多いので、余計に話はややこしいんですが…。


自閉症の子は、人とものの区別がうまくつかないことがあります。また、小さいうちは特に、人間の形がよく判っていないところもあるように思います。顔と手と足みたいに離れた場所にあるものを、一人の人間の一部として認識していないというか。お母さんのことを、便利な手みたいに思っている、というのがいい例だと思います。
大人の手は、自分の欲求をかなえてくれる、便利なもの。でも顔には意識がいっていないので、人の顔を見てアイコンタクトを取って、願いを叶えてくれるようお願いすることはない。大人の手を直接取って、目的のものがあるところに持って行きます。(「クレーン現象」といいます)
例えばお菓子が欲しい時には。普通の子は親の顔を見て、お菓子を指差すとか、親の顔をみながらお菓子のところまで手をひっぱっていったりしますよね。自閉症の子は、親の顔を見ることはあまりしません。願いを叶えてくれるのは手だと思っているので、手だけをぐいぐいお菓子の所まで持って行くんです。くっついてくる体には、あまり興味がないみたい。息子・蜜柑も同様で、未だに私の顔も見ず、手をぐいぐいやることがよくあります。
顔でさえそんな具合ですから、人の胴体や足なんて、全然視界に入っていません。そういう状態の子が、人の向こう側にすてきなものを見つけたらどうなるか。当然、人なんかふっ飛ばして、目的のものまで突進していきます。悪気は全くないんです。人の足と他の物体との区別がついていないので、例えばソファなどの柔らかい家具にぶつかっちゃうのと同じ感覚でぶつかってくる訳ですね。

蜜柑もよく私たちの足を踏んづけます。私たちが「痛い!」と言うと、とても不思議そうにします。「足を踏んだら謝るんだよ」「人の体にぶつかっちゃいけないよ」何十回、何百回言ったでしょうか。でもなかなか身に付きません。ホントに判っていないのが感じ取れるので、どうしていいものやら。とにかくこんこんと言って聞かせることしかできない状況です。蜜柑を見ていると、目は見えているけど、「人」を特別なものとして視界の中で浮かび上がらせることができないようだ、と私は感じます。視覚に問題はなくとも、脳が情報を処理する過程が、私たちとは違う。目の視力は普通にあるけれど、心の視力が私たちとは違うのかな、と。

非自閉の私たちは、パーソナルスペースといったものを本能的に持ち、「人」と言うものを常に意識しているので、めったに人とぶつかることはありません。無意識に人をよけられます。でも、自閉症の人は、どうもそうではない。それぞれの人の大きさ、親しい人との距離、親しくない人との距離、いろいろなことを意識して考えて、やっと人に不快感を与えない位置にいられる。
それがどのくらい大変なことなのか、私にはよく判りません。ひょっとしたら、全ての物体に対して、人と同じように適切な距離を考えてから動いてみたらいいのかもしれません。

この道具はよく使うし大好きだから、近づいても大丈夫。いきなりぱっと手を出しても大丈夫だろう。
この道具は自分のものじゃないから、1mくらい離れていようか。使う時にはちょっと頭を下げて礼儀正しくしなくちゃな。

…………。

今ちょっと想像してみただけでも、嫌気がさしますね。

この例えが正しいのかどうかは判りません。想像ですから。でも仮に自閉症の人が、人と接する時に常にこのようなことをしているとすると……こりゃ大変だわ。場数を踏めば、さっとできるようになるのかもしれませんが、それを身に付けるまでにはいったいどのくらいの時間と知恵と労力が必要なのでしょうか。
蜜柑は、まだ全然身に付けていません。身に付ける日が来るのかどうかも判りません。親としては、そんなこと(と言ってはいけないのかもしれませんが)に苦労するくらいなら、もっと楽しいことに頭を使わせてやりたいと思ってしまいます。


……ドラマの話に戻りますが、女将を「つきとばした」というのも、光くん、多分悪気があってのことではないのでしょう。単に女将の向こうにいいものがあって、そこへ向かう途中にぶつかったのか、そうでなければ多分光くんの顔を覗き込むかなんかして、びっくりして押しのけた。そんな程度のことだと思うんです。「理由があってのことだと思うんです」という篠原ママの台詞は、おそらくそういうことが言いたかったんだと思います。

迷惑をかけたのだから、謝るのは当然です。多分篠原ママの立場なら、私も平謝りに謝るでしょう。でも「自閉症」という言葉をどうしても出したくなってしまう。自分も子どももがんばってがんばって、懸命に社会の中での過ごし方を覚えている最中で、でもどうしても越えられない壁があって。悪気はないんです、迷惑かけないように勉強している途中なんです、言い訳なのは判っているけど、この子にはほんとにほんとに大変なことなんです。そう、言いたくなってしまうんです。


ただ、全ての自閉症の人に、上記のことがあてはまる訳ではない、というところがまた曲者です。人をきれいに避ける自閉症の人もいます。私は専門家ではないので詳しくは判りませんが、人が怖いから近寄らないのかもしれません。
非自閉の人に個性があるように、自閉症者にも個性があります。こう言う行動をとるから自閉症、とはいえないんですよね。ドラマの女将が「知り合いの自閉症の子は」云々と言ったのも、自閉症とはこういうものだ、といった偏った認識によるものでしょう。


全ての人に、100%判ってもらおうとは思っていません。私も全部判っている訳ではないし、通りすがりの人に判ってもらおうなんて、とてもとても。
ですから今のところ、私は通りすがりの人にまで「自閉症で」とは言っていません。障害を言い訳にしている、しつけのなってない親子だと思われたくないし、自閉症について悪い誤解を産んでは余計に困りますから。
よく接する人には、話しています。子どものことをよく判ってもらうために。
この人には話そうかどうしようかなぁ、なんて考えることが、しばしばです。


自閉症」と言うだけで判ってもらえる世の中になるといい、というのが、ほんと、理想です。