第8・9話を見て

感想書くの久しぶりになってしまいました(汗)。

どちらの回も、子どもに対する親の気持ちを描いた部分、非常に共感できました。
篠原ママのお母さんが、「子どもの前では涙は見せないと決めた」と話すシーン。
篠原ママが、「光より1日でも長く生きなきゃ、と思っている」と話すシーン。
篠原ママのお母さんが、「まわりの人達はあなたのように光だけを見ているわけじゃないのよ。あなたと、光を見ているのよ」というシーン。

きっと、私の親も、篠原ママのお母さん(分かりにくい言い方、すみません)と同じように思っているんでしょう。なんかあるごとに、私のことを気づかってくれているのを強く感じます。子どもはいつまでたっても子どもということなのかもしれません。「無理するな」「休め」「いっぱい寝ろ」しょっちゅうしょっちゅう言われます。そんなに頑張ってるように見えるかなぁ。見えるのかもしれませんね。自分の親だけでなく、夫のお母さんからも言われます。「昼寝しなさい」「栄養のあるもの食べて」など。とてもありがたいことです。

私の母親は、二人の年寄りを介護して看取った経験がある人で、「世話する人が頑張りすぎて無理して倒れることは簡単だけど、それは倒れた人の自己満足に過ぎない。自分の体調に十分気をつけて、世話される人も世話する人も周りの人もみんな、無理のない生活をしなくてはいけない」というのが持論でした。私はその頃は全然理解のない子どもで、ほとんど手伝わなかった悪い娘なのですが…。
それはともかく、おそらくその経験が、「休め」発言につながっているのでしょう。


そして、今私は息子のことを心配しまくっています。篠原ママと同じく、私も、子どもより先には死ねないと思っています。
でも……。
うちの場合、蜜柑が平均寿命まで生きたとすると、私はその時100歳を越えてしまいます。しかも、ボケてしまっていてはいけない。

ぜっっっったい、ムリ。

自分が死んでも安心な環境を、できるだけ早いうちに作っておかなければいけません。私がまた仕事についたのも、「稼げるうちに稼がなくては」という気持ちもあってのことです。
また、子ども側は、いろいろな人の援助を受け入れられる状態になければなりません。篠原ママは里緒先生に固執していましたけれど。この点では、先生方の言うことの方が正しいと私は思います。できるだけいろいろな人と共に行動する機会を、早いうちから、数多くこなすことが大切だと思います。
そして、それらの援助が継続的に受けられる保証がなくてはなりません。でも、現状はお寒い限りです。将来働く所も住む所も援助してくれる人も、親たちそれぞれが自助努力で探し、作っている状況です。団結できる同志と、行動できる能力と時間とお金のある親ばかりではありません。悲観的になる親がでるのも無理ない状況です。
どれとは言いませんが、子どもの自閉症に悩んで母子心中、というニュース、ちょこちょこ見かけますから……。

障害があったって、なんてことはない! という世の中を、切に望みます。


こないだは、武田真治がよかったですねぇ〜。ああいう先生、いいなぁ。子どもに真剣に向かい合っていて、あれなら、話を聞こうかという気になりますよねぇ。
今日のお話では、音楽の先生との関わりがあるようですね。楽しみです。