第10話を見て

いよいよ今日が最終回ですね。いったいどうなるのかしら? やぶりんが胸を押さえていたの、どう話をおさめるのでしょう? 武田真治の恋敵を10話なんてとこで出して来て、どうなるのかしら? 楽しみに待っているところです。

第10話も、とてもよかったですね〜。私は2か所、泣きました。

一つ目は、川見先生が「光くんはかわいそうな子じゃありませんから」と言ってくれた所。予告で見てはいましたが、やっぱりぐっときました。「かわいそうだ」みたいなことは、親は割としょっちゅう言われているんですね。もう、反論する気もおきません。
でも、今まで光くんにあまり理解がなかった川見先生が、親の気持ちや立場を経験してくれて、理解を深めてくれて、光くんの味方にまでなってくれた。こんなにうれしいことはないです。
判ってくれる人を一人ずつ増やしていくこと。これからの課題だなぁ、と、身にしみました。

あとは、「おとうちゃん、だいすき」のところ。マンガでも読んで泣いたシーンだったんですが、やっぱりダメでしたね。泣いちゃいました。
よく、男の人は、子どもがある程度大きくなってから父親としての自覚がでてくる、と聞きます。3か月とか半年とか、子どもがある程度訳が判って来て、にっこりするようになって、喃語を話したりするようになるとぐっとかわいくなるもんなんだ、と。

でも。
全ての男の人がそうなんだとすると、自閉症の子どもは、永久に父親にかわいいと思ってもらえないということになってしまいます。にっこりしないし、話し掛けても来ないですから。

お友達に、ちょいちょいいます。お父さんが子どもに全く関わろうとしない、障害を受け入れず母親のしつけのせいにしたり、挙げ句の果てには家に寄り付かなくなってしまったり、妻子に暴力(肉体的にも精神的にも)を振るったり、など。
もちろん、障害のない子どものいる家庭でもそういう話はあります。でも、障害のある子を抱えた母親は、より多くのストレスを抱えていることが多いと思います。それなのに、父親の理解のない状態で、いい子育てができるのでしょうか。

自閉症の子は、自閉症の子なりのかたちで、人と関わっているんだと思います。普通とはかなり違った関わり方かもしれないけれど。子どもをよく見ていれば、「かわいい」と思えることも、いっぱい、あります。

とはいえ、私自身蜜柑を「かわいい」と思えないことがちょこちょこあるんですよね……。この文章は、自分への戒めにすることにします。

さて最終回。楽しみですね。