生きることと死ぬことと

アンテナにもリンクさせていただいている、めめさんの「きらきらぐるぐる」の記事と、そこから行けるビッグママさんの記事を読んで、以前のことを思い出した。

障害を抱えた人とその家族が心中する事件は後を絶たない。その気持ちはとてもよく判る。私自身も、考えたことがあるからだ。

まだ子どもの自閉症の診断がはっきりとついていなくて、でもどうやらこの子には知的障害があるんではないか?と思った時。
自閉症の診断がついて、目の前が真っ暗になってどうしていいのか判らなかった時。
なんかの拍子に先々のことを思い悩んでしまった時。
多分他にも何度か。何回くらい考えたんだろう……よく覚えていない。でも、最近は全くそういうことを考えなくなった。

思い返すと、私は、自閉症の子をもつ友達が増えたあたりから、そういうことを考えなくなったような気がする。

「わたしさ、この子と一緒に死のうかと思ったことあるよ」
何人かの友達からそういう言葉を聞いた。私も、言ったことがある。
絶句する人や、「そんなことダメ!」と過剰な反応をする人はいなかった。たいてい「そういうこと、考える時、あるよね」といった、共感の言葉が返ってくる。私もそんな感じで答えることが多い。自分だけじゃなかったんだなぁ、そう思うだけで、結構元気になれるもんだなぁ、と実感した。

死ぬのは、いつだってできるしなぁ。
自分だけが不安を持ってる訳じゃないからなぁ。
悲しいときはいっぱい泣いて、でも私知らないうちに泣き止んでいるしなぁ。
私たちが死んだら、ダンナはさびしがるだろうなぁ。
今、楽しいこと、いろいろあるしなぁ。
この子も楽しそうに暮らしているしなぁ。
障害のない子を産んでたら幸せなのかともいいきれないしなぁ。
つーか、私も子どももダンナも、今そんなに不幸って訳じゃないんじゃないかなぁ。

じゃ、ま、死ぬこともないや。

そんなかんじで、ゆらゆらと、この世を漂っている私がいる。

柳みたいにゆらゆらと、でも折れない。そんなふうに、暮らして行けたらいいなぁ、と思っている。