続・「産む」という選択

この記事、一度コメントで書き加えたのですが、コメントだとキーワードリンクがはられないので、記事に書き直しました。

前回の記事、「産む」という選択について、ちょっと引っ張ります。

この質問者の方って、きっとすごくまじめな方なんだろうな、って思えてきました。「産む」「産まない」どうしたらいいのか、まじめに考えていらっしゃる。
…勢いで産む人、多いように思うんですよ。私の回りにもやっぱりそういう人がいて、かなりもやもやしているものですから。「子ども産んだらダンナが変わるかと思って」って、変わらなかったらどうするんやい! ぶつぶつぶつ…。

あと、自閉症の子どもでも愛着行動が絶対得られるみたいな書き方をしたことを、お詫びします。意思疎通ができない方も、やはりいらっしゃいますので。
そしてまた、自閉症の人の他人への愛着というのも、一般で考えられている「好き」「愛」というものとはかけ離れている場合があることも、書き漏らしました。
例えば蜜柑の場合でいうなら…。
多分蜜柑は、私のこと、デカレンジャーくらいには好きなんじゃないかと思います。でもデカレンジャー以上に好きかというと、それは甚だ疑問です。その程度の「愛」に過ぎません。でも、私はそれでもいい。「ママ大好き」と心から笑いかけてもらうなんてことは、諦めました。デカレンジャー(蜜柑が一番好きなヒーロー)並になるだけでも、かなりの時間がかかりましたから。蜜柑の中での一番にこだわっていたら、私は蜜柑を愛せませんでした。

自閉症の我が子を愛することの困難さを、少しだけ想像していただくことができれば、ありがたいと思います。