大切な場所が

いきつけの中華料理屋が改装してて、改装が終わったから行ってみたら、店の名前が変わってて、スタッフも全部入れ替わってて、味も変わってて(もっとハッキリ言うと、味が落ちてて)、要は別の店になっちゃってた。残念だ。

と書くと、あっさりしたもんだけれど。私の落胆は、相当に深い。

その店は、まだ蜜柑が赤ん坊で、座布団に収まるくらいの大きさの頃から通っていた店だった。とても私ら夫婦好みの味だったので、しょっちゅう行っていた。初めは赤ん坊だった蜜柑もどんどん大きくなり、座布団に寝ていたのが起き上がり、ご飯をつまむようになり、そこで餃子の味を覚え、手づかみからスプーンフォークそれから箸へと進歩し、最近では一人で餃子2人前とかラーメン一杯近くとか、食べるようになってきていた。店員さんとは「こんにちは〜」なんて挨拶するような仲で、友達や実家の親兄弟も連れて行き、年末にはカレンダーももらい、「常連」と言える客であったと思う。
何よりも、店員さんが優しかった。特に、蜜柑に。店員さんは多分みんな中国系の人たちだった。中国系の人たちは、文化的に子どもに優しいと聞いたことがあるけれど、それだけじゃないように思えた。特に話題にしたことはなかったけれど、蜜柑の成長過程をずっと見てもらっていたから、きっと、蜜柑になんらか障碍があるということが判っていたんじゃないかと思う。
2年程前のことだ。一度、その店で蜜柑がパニックになったことがあった。たまたまテレビで大嫌いな番組をやっていて、それを見て爆発してしまったのだ。蜜柑のパニックは大声で泣き叫ぶのが中心で、暴れるようなことはない。けれど自閉症から来るパニックなので、ちょっとやそっとの言い聞かせで落ち着くものでもまた、ない。この時のは、ちょっと手強そうなパニックだった。大好きな店で、大嫌いなものが映っている。どうしていいか判らなくなってしまったのだろう。とりあえず店の外に出る。店員さんがびっくりして駆け寄って来て、一緒になって宥めてくれた。帰るという選択もあったけれど、店員さんもここまでしてくれているし、今度来た時に説明に困るとも思ったし、馴染みの店だからこそ、パニックを収めて入店するということを蜜柑に経験させたかった。
今ついているテレビ番組が嫌いなので泣いている、チャンネルを変えてもらえないかとお願いをしてみたけれど、何せ母国語が日本語でない人なので、なかなか通じない。店員さんは店内から紙と鉛筆を持って来てくれて、「書いて、漢字で」と言ってくれた。共に解決しようとしてくれる気持ちが、うれしかった。確か、「TV番組変更乞」と書いた覚えがある。店員さんは「OK」と言って、テレビを野球に変えてくれた。ガラス越しに蜜柑にテレビを見せ、「もう野球になったから大丈夫だよ」と言い聞かせ、落ち着かせて、入店することができた。30分くらいかかったろうか。お客さんたちは驚いていた様子だったけれど、店員さんが殊更にこにこと私たちを含む客全員に接してくれたためか、悪印象を持っている人はいなかったように思えた。食事の後、「がんばって来てくれた、ぼくにサービス」と言って、杏仁豆腐を頂いた。
この一件は、私たち家族にとって、とてもうれしく、ありがたい経験だった。蜜柑の障碍やパニックを見守ってくれる人が、場所が、存在するということが判ったこと。蜜柑がパニックを30分という短時間で収め、パニックの現場に戻ることができるようになったこと。私たちに、とても自信と安心を与えてくれた事件だった。
その後は、より足繁くこの店に通うようになった。店員さんたちはいつも明るく迎えてくれた。居心地のいい、場所だった。

しかし、突然の閉店。多分、もう私たちはあの店に行くことはないだろう。味のこともあるけれど、私たちにとって、あの店の価値は、あの店員さんたちの存在にあったからだ。

あの人たちは、今どこで何をしているだろう。また、会いたいと、心から思う。私たちを支えてくれてありがとう、と、言いたい。言いたいのに。