「自閉症」という言葉の問題

この発言は、先のエントリー「さっきの「スタメン」で」(http://d.hatena.ne.jp/Hadija/20051120/p1)へのpassingさんのコメントにお答えする形で書きはじめました。とても長くなり、passingさんだけではなくみなさんへのメッセージにしたいと思い、独立したエントリーとしてアップしました。

みなさん、コメント、アクセス、ありがとうございます。以下、読んでいらっしゃるみなさんにはご存じのことが多いかと思いますが、自閉症のことをよくご存じない方にも判っていただきたいので、長文となりますことをお許し下さい。さて。

自閉症」とは違う意味で「自閉」という言葉が使用されることがあり、なかなかにややこしく、言葉の用法のグレーゾーンは、確かに存在するように思います。しかし、私は「自閉症」でない「自閉」に、「自閉『症』」という言葉を用いるのは間違いであり有害である、と思うのです。

過去、「自閉症」は心因性の障碍であると考えられてきた時期がありました。しかしながら、研究が進み、「自閉症」は先天的な脳の機能障碍、発達障碍であるという説が主流となってきました。人との関わりを避けるという、「自閉」と呼ばれる状態と言葉が先にあって、その後から、今まで「自閉症」として認知されてきた障碍の真相が明らかになってきた訳です。
「自閉」という文字と過去の用法とが表すような、「内向的性格(passingさんありがとうございます。的確で使いやすい表現なので使わせていただきます)」とは、原因も症状も実は全く異なるものであった。これが、「自閉症」という呼び名と、実際の障碍との印象の乖離の原因であると、私は考えています。
また、辞書などの限られた紙面で「自閉症」の説明をしている文章では、「自閉症」のことを単なる「内向的性格」としか読めないような書き方がしてある例が間々見られます。単にスペース上の都合なのか、過去の文章をそのまま引いているからなのか、著者に理解がないのか、それは判りません。
「辞書にあるから間違ってない」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、ほんの数行の文章で障碍の症状や原因を説明できるはずはありませんし、言葉の意味は刻々変わって行きます。
現在「自閉『症』」という言葉の意味として主流を占めているのは、autismのことであると、私は信じています。「自閉『症』」という言葉は、「自閉症」を表すためにのみ使用するべきだと思うのです。

自閉症」と「自閉」が混同されていることによる弊害を、私は多く体験し、目にしています。子どもの障碍を説明してもなかなか判ってもらえない。人と関わらせればいいんだとぱかり、子どもたちの奇声の中を遊びにかり出されパニックになる。育て方のせいだと言われ、「こんな小さい子どもにもひきこもりってあるの?」とナチュラルに聞かれ、医者にまで「治るまで頑張れ」と言われ。数えれば切りがありません。
そして一番残酷だと思うのは、「自閉症が治った!」という情報に振り回される親子の姿を見る時です。
自閉症を治す!」と、今もいろいろな療法や薬の情報が氾濫しています。しかし、確実に自閉症「そのもの」を治す効果があると立証されたものは今の所ありません。生きにくさを改善したり、本人や周囲にとって不快な症状を軽くすることができる程度だといわれています。
自閉症が治った!」とされる療法で状態がよくなった方は、実際にいらっしゃるのかもしれない。しかし、その方は本当に「自閉症」だったのでしょうか? 実は精神疾患だった方が、投薬で改善されたのかもしれない。引っ込み思案だった子がお友達と楽しく遊べるようになっただけなのかもしれない。
自閉症」という障碍が世間に正しく認知されていれば、精神疾患や単なる引っ込み思案を「自閉症」と混同することはなくなり、効果があるのかどうか判らない療法に時や時間を費やす親子を減らすことができると思うのです。親は療法を信じていなくても、療法を信じ込んだ周囲の人間が親を責め、そのために悲しむお母さんをいっぱい見ています。そんな事態も減らすことができると思うのです。

統合失調症認知症のように、「自閉症」という言葉を変えるというのも、方法の1つであるとは思います。しかしそういう動きがない現在、私にできることは、「自閉症」に対する理解を求め、誤った認識を咎め続けることだと思っています。例えそれが、「言葉狩り」と呼ばれる行為であったとしても。
理解を求めるのが目的ですから、あくまで、角を立てずに円満に…といければいいのですが。先のエントリーは、番組終了直後にアップしましたので、かなりエキサイトしていましたね。いかんぞ>自分。