「マラソン」見てきました

結局早速見てきました、「マラソン」。蜜柑は夫に見ててもらって(楽しくトイザらスなど行って来たらしい)、一人で行ってきました。

まず感想。よかったです!! 自閉症者にゆかりの方、ゆかりのない方、親の立場、子どもの立場、どちらにとっても心動かされる映画なのではないでしょうか。みなさんぜひ、ご覧下さい。
でも、初日からこれで大丈夫なのか? と思うくらい、私が行った映画館ではお客さんが少なかったんです。初日の第2回目の上映、なのに20人足らず……。パチンコ屋併設のちっちゃいシネコンとはいえ、他の映画にはお客さんいっぱい入ってんですよ、満席になるくらい。大丈夫なのかなぁ? 宣伝失敗してない? 見ようかどうしようか迷っている方。このままではあっという間に上映打ち切りになってしまう可能性があります。どうぞお早めに、映画館まで足をお運び下さい。お願いします。そしたら、長く公開されるかもしれませんから……。

さて、以下、詳しい感想を書きたいと思います。激しくネタバレですので、ネタバレはイヤ!な方は、続きをお読みにならないように、お願いします。


えーと、多分私、泣いていなかった時間の方が、少なかったのではないでしょうか。もともと涙腺は緩い方なんですが、そのくらい泣きました。終わった頃にはすごい顔になっていたので、空いてる映画館でよかったとおもったくらいです。タイトルが出るまで、主人公チョウォンの子どもの頃を振り返るシーンが続くのですが、まずその間はずっと泣きっぱなし。予告編で取り上げられたシーンは全て泣いていましたし、エンディング辺りは嗚咽を殺すのに必死でした。周りの人はさぞ引いたことでしょうが、知ったこっちゃありません。
他の観客の人たちも結構涙を拭いていましたが、明らかに私とは泣く頻度が違っていました。私はすっかり当事者の気持ちになっちゃっていたので、どこでも泣けてしまうんですよね。なので、自閉症者にゆかりのない一般の方々がどの辺で感動するのかは、私にはよく判りませんでした。でもみんなかなり泣いていたから、感動作であることは、間違いないんじゃないかと思います。

この映画のまずすごいところは、主役のチョ・スンウと母親役のキム・ミスクの演技のうまさです。
チョ・スンウなんかは本物としか思えない迫真の演技で、自閉症者の心の動きをよく表現していました。見ていないようで見ている視線や、非自閉症者のものとは微妙に違う笑顔の雰囲気、声のトーン、喋り方、全身で感覚刺激を楽しんでいる様子、フラッシュバックを起こすシーンの淡々として見える中での心の激しい動き、普段と精神的に不安定になったときとの常同行動の変化、踊るシーンでのぎこちなさ、走るシーンでも欠かさない常同行動、などなどなど。私実は、チョ・スンウという方を今回初めて知りまして。有名な役者さんなんですね。きっと他の映画を見たら、逆に違和感を感じてしまうのではないかなぁと思ってしまいます。そのくらい、迫真の演技でした。すごい。チョ・スンウ天才です。
母親のキム・ミスクも、自閉症者の親の気持ちを全身で表現してくれていました。何よりも、疲労感が全身からにじみ出ていて。冒頭、チョウォンに医者から障害の説明を受けるシーンがあるんですが、「家族が疲労する」という言葉と重なるキム・ミスクの演技を見て、目から涙がどばぁ〜〜っと吹き出しました。私にも身に覚えがある、あの疲労感。お友達たちもしばしば、ああいう状態になります。子どもがどこかへ走って行ってしまっても、ガスが漏れていても立ち上がることができない、あの感じ。身体が忘れていません。
映画では動物園でしたが、私の場合は、噴水でした。春まだ浅い4月初め。桜が咲いていましたっけ。蜜柑は近くの公園の噴水に突進して行ってしまいました。蜜柑、2歳。一番言うことを聞かなかった頃です。いくら連れ戻そうとしても戻らない。私は疲れきっていました。もうどうなってもいいや。私は止めたんだもん。1時間半ほども、私は公園のベンチにへたり込んで、水遊びをする蜜柑を見ていました。蜜柑は楽しそうでした。通り過ぎる人たちが、みんな蜜柑を指差していました。でも声をかけて来る人は、誰もいない。ものすごい疲労感と孤独感。
キム・ミスクの演技には、あのときの私の気持ちのすべてがあった。そう思います。また、父親やマラソンのコーチに対する、なんとも言えない感情。子どもの障害と立ち向かううち、母親はより孤独感を募らせて行きます。全ての困難を自分が抱え、しかしたまにやってくる楽しいことが、いいとこどりをして子どもを自分から奪っていく。これも少なからず覚えのある感情です。自閉症という障害が判るまで、判ってから。母親は周りの無理解や偏見、どうしたらいいのか判らない焦燥感と、一人で立ち向かわなければなりません。周りは理解し協力しているつもりでも、実際子どもと多くの時間を過ごしている母親は、孤独感を募らせている場合が多いように思います(私の周りを見た限りでの感想ですが)。私一人で頑張っているのに、なによ!!そういう気持ちには、私も覚えがあります。

また、各々のシーンがひとつひとつ印象的で、涙あり笑いありでした。でも私はひょっとすると、制作者の意図とは違う受け取り方をしていたかもしれないな。「雨」という言葉を教えるシーンや、笑い方を教えるシーン、チョコパイを見せて目的の方向に誘導するシーン等は、障害を表現したり笑いを誘ったりするシーンなのかもしれませんが、私に取っては泣くポイントになりました。どれも覚えのあることばかりだったからです。チョウォンがフラッシュバックを起こすシーン(迷子になったことを話すシーン、雨の中病院から飛び出すシーン)は、むしろ肯定的に捉えました。よいことも悪いことも、それを表現できないだけで、蜜柑は吸収している。私が今やっていることは無駄ではないのだと、力づけられたように感じました。
また、自閉症者のいる家庭に起こる問題の多くを、提示してくれていました。世間との対立、兄弟児の問題、夫婦間の問題、学校との対立、子離れと親離れ。映画では全てがクリアされたとは言えませんが、そういう問題があるということを、知ってもらえるだけでもよいのではないかと思います。

ストーリーも、リアルで秀逸だったと思います。もともと事実が下敷きにあって、その映画化ということですから、リアルなのは当然なんですが。
チョウォンとコーチとの交流は、見ていてうれしかったです。心を閉ざしているのではないのだと理解してくれる人が、もっと増えるといいと思っています。
最後のマラソンのシーンは、見ていてとても心地よかった。走るチョウォンは、とても楽しそうです。全身で生きることを楽しんでいるような、そんな走りです。出て来た出演者みんなが出て来るシーンは、自閉症者と非自閉症者が共に判りあって生きる、そんな素晴らしい未来を表しているように思えて。ファンタジーではありますが、そういうシーンを終わりに持って来た監督に感謝です。

生きることを、本当に楽しんでいるようだな、と、蜜柑を見ていてもたまに思います。蜜柑は本当に幸せそうです。そしてこの先、この映画のラストシーンのような素晴らしい笑顔で取り組めるものに巡り会い、自分の力で走って行ってくれれば。私はそのための努力、いえ、協力をして行きたい。そう思いました。いい映画でした。ぜひご覧下さい。